2012年2月2日木曜日

Tetsuo Ono’s Blog

原尻淳一,アイデアを形にして伝える技術,講談社現代新書

原尻淳一,アイデアを形にして伝える技術,講談社現代新書

p.40

 インタビューを終えた後,鶴見先生はその日の夜か翌朝,ノートにまとめる作業を行っていました.面白いのは,すぐにまとめようとせず,ちょっとだけ考える時間をおいてノートへまとめていたこと.脳で一度現状を消化してから,必要な部分を切り出してノートへ情報を運んでいたように思えます.

 鶴見先生のノートは非常に特徴的で,ノートを見開きで使います.左のページにはその日に出会った人の名刺や歩いた土地の地図,お店のメニュー,農具や船のイラストなど現地の情報がストックしてあり,右のページにはきれいな文字でその日の出来事が描かれていました.

p. 178

 また,パワーポイントやキーノートを使った企画書づくりでは,フォーマットをどうつくるかで,その人らしさが出てきます.基本ルールはワンシート・ワンメッセージといって,「シート内情報はひとつのメッセージに集中して書く」とわかりやすい企画書になるといわれています.

 面白い企画書はたくさんあります.これまで出会った企画書のなかで印象的だったのは,どのような企画でも,A3シート1枚で表現する企画書.これは広告代理店時代の先輩がポリシーとしてやっていたことで,「何十枚とある企画書はナンセンス,チャートですべてを説明できなければ企画ではない」と言っていました.1枚しかないという情報量の制約のなかで勝負する.これはかなり高度ですが,インパクトがあり,個性が反映される企画書でした.

高橋和夫,ダメになる会社: 企業はなぜ転落するのか? ちくま新書

高橋和夫,ダメになる会社:企業はなぜ転落するのか? ちくま新書

p. 140-

 私も年齢的にいろいろな審査をやらされる場面が増えてきた.

 仮に,研究費の審査であっても,経済学系だけの審査であれば,審査は,ある意味簡単なのである.さきほど佐和が書いていた通りで,本当に,ジャーナル・ペーパー ―業界関係者は「学術論文」のことを格好つけてこんな風に呼ぶことが多い― の本数だけを数えて審査していても,それほど間違った結論にはならない.より正確にいうと,他の経済学者の委員も納得してくれる.

 ところが問題は,人文・社会科学系全体とか,もっと広く理工系も全部含めた総合的領域での審査の場になったときなのである.こんなときに「経済系」の委員としてその場にいるのは,正直いって,つらい.

(中略)

 ある書類審査の場面では,某大学の経済学者が,他分野の研究計画書を「全然ダメだ」「お話にならない」などと声高に罵り始めた.別の分野の研究者が,そう判断する理由を聞くと,

「だって,この計画の研究代表者をはじめとして,みんなジャーナル・ペーパーがないんですよ.こんなの審査のテーブルに載る資格もありません」

 すると,他の委員たちの表情が見る見る変わり,会場はざわつき始めた.そして他の委員の発言.

「あなたは,研究計画書の内容を検討もせずに,論文の本数だけ数えているのか.それは審査ではないだろう.業績リストに並べられている論文の本数だけを数えればいいのであれば,子供でもできる.われわれが,学識経験者としてこの場にいる理由をあなたは考えたことがあるのか.そもそも,論文だって,パブリッシュされているからいいというのではなく,本来は内容を吟味して論文の評価をすべきでしょう.研究代表者が研究者として一流かどうかは,今までの研究の内容から判断されるべきであって,少なくとも私の分野では,短い論文よりも,まとまった本で,その人の力量を判断しますよ」

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