しみじみと味わうということ | 日本の素晴らしい歴史
私の子供の頃は、もっと今よりも自然が多かったので、故郷の子供時代には、神社のある山をかなり深く分け入って遊んでいたり、川で泳いだり、草の茂った 舗装していない道を歩くことも多くて、その頃の懐かしい思い出がかなり郷愁として心に残っているせいか、草が自然に生えているさまが何とも言えず、気持ち が安らぐ気がします。
きっと他人から見ればむさくるしい庭であろうと思うのですが、網戸の窓から、平行脈の葉の尖った先端がいくつも上を向いて、あるいは弧を描いて茂ってい て、その間から草の穂がのぞいていたり、窓の端の方からヌスビトハギのピンクの花が咲いているのが見えると、まるで野にいるような気分になって、実に趣き のある庭だと一人で悦に入っていることがあります。
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そしてまた、庭には、トカゲやカエル、更に蝶やミツバチ、時にはちょっと怖いアシナガバチもよく来ます。それらもなかなか観察すると面白いものです。他 愛もない風景と思えばそうですし、これらに何の関心もない人も多いことでしょうが、一寸心のゆとりをもって、これらの些細な自然をしみじみと味わってみる のもいいものです。
小さなかわいいトカゲの子どもです
イチモンジチョウ 羽を閉じると茶色の模様ですが開いた羽は黒と白の模様なので、飛んでいる時のコントラストの美しさは絶妙です。
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昆虫たちのその繊細な造形美には、時々非常な感動を覚えるような美しさがあります。雑草の花の美しさもそうです。普段は気づかない小さな世界ですが、この小さな世界の何と細やかな知恵が満ち溢れて出来上がっていることかと、驚かされます。
いにしえの日本人は、このような身近な自然を実に深く味わっていたのではないかと思います。古代から、日本人は庶民に至るまで和歌を作っています。そこには、些細な自然から、人生の出来事に至るまで、様々なことが歌われています。
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和歌にするには、必ずいろんなものをしみじみとまず味わってみなくてはなりません。人々は多くのものをほんの些細なことでさえ、しみじみと味わってきた のでしょう。しみじみと味わったから和歌にせずにはいられなかったのか、和歌にするためにしみじみと味わったのか、どちらが先かはわかりませんが、日本人 がこのようにいろいろなものを味わう民族であったことは確かです。
江戸時代には、朝早くから近所中で連れ立って、蓮池に蓮の花が早朝に開くのを見に行くのが流行ったという話です。桜の季節のお花見もそうですが、こうし た季節ごとの自然に関係した娯楽は、いかにも日本人らしいと思います。また風鈴で涼をとったり、朝顔を植えて楽しむ夏の涼しげな過ごし方、この気持の上で 涼を感じる季節の味わい方、これらは、日本人がしみじみと物事を味わうという個性をあらわしています。
ラフカディオ・ハーンだったか、日本人はみなが詩人であると言っています。西洋ではひとにぎりの人々が詩人であるにすぎないが、日本ではほとんど皆が、詩人の感性を持っていると驚いているのです。
この世に生まれて、幸せとは何かと考えれば、このしみじみと味わうということは、一つの大きな幸せの要素ではないでしょうか。感動とは何も人生の大きな 出来事の中にだけあるわけではありません。日常の中の小さな一つ一つの物事の中に、それらを見つけることが出来れば、その人の人生は、それを見つけなかっ た人よりも充実していると言えるのではないでしょうか。
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